2023年5月26日に、映画「岸辺露伴ルーブルへ行く」が公開されました。
大人気の「岸辺露伴は動かない」シリーズが映画化され、喜び勇んで夫と共に映画館を訪れましたが、夫は開始15分ですやすやと眠り始めました。
全体的に美しい風景と、そよそよと流れる風の音が映画館の中で気持ちよく、おそらく睡眠を十分にとっていないと眠ってしまう人が多いのではと感じます。
テレビで放送されているように、3部作に構成すれば丁度よく消化できると思うのですが、後半部分の話の展開が正直微妙で眉をしかめました。
本記事では、映画「岸辺露伴ルーブルへ行く」を見た感想や、良かった点悪かった点をまとめてみました。
映画【岸辺露伴ルーブルへ行く】のあらすじ
世界的に有名な漫画家岸辺露伴は、人の記憶を本にして読んだり文字を書き込むことで記憶や行動を改変することがでる「ヘブンズドア」という特殊能力を持っています。
たびたび人の記憶を覗いては、漫画のネタにしたり知的好奇心を満たしていた露伴ですが、デビューしたての頃は編集と折り合いが合わず、祖母が経営する人里はなれた旅館で新人漫画賞の執筆に励んでいました。
そこで露伴は、奈々瀬という謎の女性に出会い、この世で「最も黒い絵」の存在を知ります。
「黒い絵」の存在がどうしても引っ掛かっていた大人になった露伴は、ルブランというフランス画家が描いた黒い絵を競り落としますが、謎の男達にその絵を奪われてしまいました。
しかし、ルブランの絵を盗んだ窃盗集団が奇怪な死をとげ、露伴は「黒い絵」になにかあると勘付きます。
そして調べていくうちに、黒い絵を描いたルブランはルーブル美術館に所属されていた、山村仁左衛門の描いた「黒い絵」をみて命を絶ったことがわかりました。
岸辺露伴と編集者の泉京香は、「黒い絵」が貯蔵されているという、ルーブル美術館の地下倉庫「Z-13倉庫」に潜入します。
【岸辺露伴ルーブルへ行く】の良かったところ
「岸辺露伴ルーブルへ行く」の良かったところは、ドラマと同様に、美しい日本家屋や風景と、岸辺露伴シリーズの世界観を壊さない衣装の美しさでした。
日常的にはなかなかお目にかかることができない、原生林に近い森の中や、情緒溢れる日本家屋の美しい旅館には息を飲みました。
また、岸辺露伴のように150万円の絵画を競り落とすことができない自分にとって、オークション会場の様子をみせてくれたことは大変興味深い体験でした。
そして時間とお金に余裕がなく、フランスに足を運ぶことができない人でも、ルーブル美術館の中を映画で散策することができます。
しかも、一般人には見ることができない、ルーブル美術館の中の倉庫に潜入するシーンは「こんなところみせてくれちゃっていいの?」と思うくらい興奮させられました。
徹底した絵作り
「岸辺露伴ルーブルへ行く」は、おそらくどのシーンを静止画にしても絵になる映画でした。
登場人物達がいる場所は、日常的に使われていそうなのですが、どこか非日常も感じるというアンバランスさが「岸辺露伴シリーズ」の魅力だと思います。
テレビでは味わえない、音響や空調のおかげで、風の吹く音やバックミュージックがとても心地よかったです。
心地良すぎて、開始早々寝てしまう人もいるかもしれないので注意しましょう。
衣装がいい!
「岸辺露伴シリーズ」の魅力といえば、岸辺露伴のアンバランスな着こなしと、泉京香の衣装と言っても過言ではありません。
特に、露伴先生がルーブルへ行く時の、裾の長い黒いコートとグラス部分が小さすぎるサングラスは高橋一生さんじゃないと着こなせないと思いました。(露伴の祖母もつけていましたが)
そして今回の泉京香さんの衣装もとっても美しく、紫色の裾と袖がたっぷり長いドレスで素敵でした。
ルーブルへ行く時は、露伴先生と合わせて黒いラバースカートで、少々探偵のような出立ちながらもかわいかったです。
また、奈々瀬の黒いスカートもアシンメトリーで美しく、立ったり座ったりするとひらりひらりと裾が流れるように動いて可愛かったです。
ルーブル美術館の職員であるエマも、パリジェンヌらしい着こなしで、カラフルなストールとクリーム色のロングコートが絵になりました。
高橋一生さんと飯豊まりえさんのコンビがいい!
高橋一生さんの岸辺露伴は、正に完璧なんだと今回再確認させられました。
両手を前に出すポーズや、ルーブルの前で斜めに立つ姿などは、他の役者では再現が難しいと感じました。
また、岸辺露伴の後を追っていく、飯豊まりえさん演じる泉京香とのやりとりはドラマ同様にほっこり笑みが溢れました。
【岸辺露伴ルーブルへ行く】の悪かった点
「岸辺露伴ルーブルへ行く」の良い点について前述してきましたが、ここからはネタバレありで悪かった点について語っていきます。
また舞台装置以外の良かった点については、「岸辺露伴シリーズ」ですでに見てきた良さであって、「岸辺露伴ルーブルへ行く」では特段新鮮な驚きはありませんでした。
ドラマシリーズが良すぎたため、映画をみるハードルが上がりすぎたのではと自負している面もあります。
「岸辺露伴シリーズ」の中では、個人的には「D・N・A」という作品が大好きで、何度も鑑賞して涙を流してきましたが本作で心に響く場面は全くありませんでした。
キャラクターさえ良く見せられればいい、物語はそこまで作り込まなくても、観客はわかってくれるだろうという甘えを感じました。
高橋一生さんや飯豊まりえさんが誠心誠意をこめて演技をし、小道具や衣装もこだわり抜いているのに、話が面白くないのは勿体無いと感じます。
特に奈々瀬と仁左衛門の過去については、矛盾している点が多いので、描写しなくてもよかったのではと感じました。
シーンの間が長い
そもそも漫画「岸辺露伴ルーブルへ行く」では、123ページのフルカラー作品で、物語はコンパクトにまとめられています。
それをわざわざ二時間に映画用に作り直せば、どうしたって間延びした展開になり不必要なシーンがでてきます。
脚本の小林靖子さんは、優れた脚本家ですが「岸辺露伴ルーブルへ行く」を映画として作り直すのは、もしかしたら結構大変だったのではと感じます。
風景のシーンをたっぷり映したり、なかなかカメラが動かなかったりすると、どうしても眠くなってしまいますよね。
また、冒頭で露伴が古物商に侵入するシーンがありますが、美術品を横流しする店員達にヘブンズドアを展開します。
ドラマでは何度も使われたシーンで、お決まりのパターンが好きな人は当然いると思いますが、またこれやるんだと正直苦笑してしまいました。
山村家の矛盾
露伴の先祖である山村奈々瀬は、250年前に山村仁左衛門と結婚し、二人は絵を描きながら毎日楽しく過ごしていたそうです。
また、仁左衛門は高橋一生さんが演じており、丁髷姿になってもそのイケメン具合は健在で惚れ惚れしてしまいました。
しかし、奈々瀬は露伴の先祖であるはずなのに、自分の子孫(露伴)と瓜二つの伊左衛門と夫婦になっていることに近親相姦を思わせる気持ち悪さを感じました。
また、仁左衛門の職業が絵描きであることはわかりますが、なぜ蘭画(オランダの洋画)を勉強することを禁じられたのでしょうか。
やはり鎖国の影響なのかもしれませんが、一度絵画の作成を禁じたのに、二人が路頭に迷ってしまったとき「最高の絵画を描けたら援助をする」と父親はなぜ言ったのでしょうか。
そして、気が触れてしまった仁左衛門を、弟が嫉妬していたというのも少ししっくりきません。
仁左衛門の父は、長男夫婦二人を勘当したのなら、弟が家業を継ぐのではないでしょうか。
神木を傷つける仁左衛門と、衰弱していく奈々瀬を、仁左衛門の父親はただただ放置するしかなかったのでしょうか。
ルーツの大切さを「岸辺露伴ルーブルへ行く」では伝えているといいますが、それよりもまずは若い夫婦が危機に陥った場合は、率先して援助してあげるべきだと思います。
どちらにしても、夫婦二人の行動は、どう考えても身勝手自分勝手で同情することができません。
また、仁左衛門が描いていた蘭画はぱっとしなかったので、これじゃあ「最高の絵画」を完成させるのは無理があったのではと感じます。
絵が本物に見えない
岸辺露伴シリーズの、ヘブンズドアや小物の作り込みは素晴らしく、1ページごとに文字が書かれていて最高の仕事をされていると自負しております。
しかし、絵画に関しては漫画の模写は上手いのですが、ルブランの絵やフェルメールの絵、また江戸時代に伊左衛門が描かれた黒い絵に関して安っぽさを感じてしまいました。
ルブランの黒い絵は、ただ黒い絵の具を塗りたくっているようで、現代美術にも見えなくてここで相当がっかりしたのを覚えています。
また、フェルメールの絵も本物は使えないのはわかりますが、もう少し似せて欲しかったです。
そして、肝心の仁左衛門が描いた黒い絵に関しては、江戸時代に描いたものでもオランダに影響を受けた絵でもなくがっかりましました。
江戸時代に描かれたはずの黒い絵は、完璧に現代人が描いた、漫画やアニメに影響された絵でした。
小物にこだわり抜いた岸辺露伴シリーズだからこそ、絵画についても期待し過ぎてしまいました。
穢れと神様の概念が混ざってしまった
そもそも、神木から採取できる黒い樹液が、人の闇を写すというのは神に対する冒涜に見えて少しイライラします。
人々の生活を守り祈りを受けてきた神木が、なぜ黒い樹液を流し、黒い蜘蛛になるのでしょうか。
岸辺露伴シリーズと同様、ゴシック的な雰囲気を作り出したかったのかと感じますが、その概念にきちんとした根拠がなくなんとなくこんな設定にしたのかなと感じてしまいます。
日本には穢れという概念と神様という概念がありますが、「岸辺露伴ルーブルへ行く」の黒い樹液を出す御神木は明らかに穢れてしまった存在だと思います。
本来穢れてしまったものは、人目から触れないようにしたり、触らないように孤立をさせたりします。
しかし、奈々瀬はこの穢れてしまった神様に、黒い樹液を出す不吉なものとわかっていたのにも関わらず、病気を治して欲しいと祈り続けました。
また、病に侵されているのに奈々瀬は山奥に祈りに行くなど、意外とタフな面も見せていますね。
高橋一生さんと飯豊まりえさんが出てこないシーンがキツい
高橋一生さん演じる露伴と、飯豊まりえさんが演じる京香が一緒にいるシーンは、安定感がありみていて退屈するという人は少ないかもしれません。
二人が露伴シリーズのキャラクターを、徹底的に作り上げており、その人気はもしかしたら漫画以上のものになっているのではと感じることもあります。
しかし、「岸辺露伴ルーブルへ行く」では、17歳の露伴をなにわ男子の長尾謙社さんが演じています。
長尾さんは、すらりと伸びた足が美しく、立ち姿が本当に素敵です。
しかし、演技に関してはまだまだ慣れていないのがみていてわかりました。
特に奈々瀬に愛を告げるシーンは、セリフに抑揚がつかず棒読みのようになってしまい、非常に残念でした。
まだ長尾さんはまだ若いタレントなので、今後の活躍に期待したいと感じます。
さいごに
「岸辺露伴ルーブルへ行く」の良かった点、悪かった点についてまとめましたがいかがだったでしょうか。
露伴と京香の掛け合いや、ルーブル美術館の雰囲気に浸りたい人にはおすすめですが、どうしても間延びした展開が観ていて退屈になりました。
高橋一生さんの演技に定評があるのはわかりますが、もう少し話を作り込んで欲しかったと感じます。
「岸辺露伴シリーズ」のファンであるからこそ、もっと胸に響く映画を期待していたので、ここまで眠気を感じる映画に仕上がってしまったことは非常に悔やまれます。
鑑賞の際には、たっぷり睡眠をとってから映画館に足を運ぶことをおすすめします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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