映画【ボーはおそれている】アリ・アスター監督最新映画は意味不明?モヤモヤが止まらない?※一部ネタバレあり

映画【ボーはおそれている】アリ・アスター監督最新映画は意味不明?モヤモヤが止まらない?※一部ネタバレあり 2024年映画

映画『ミッド・サマー』や『ヘレディタリー〜継承〜』などで、一躍時の人となったアリ・アスター監督が、2024年2月16日に最新映画【ボーはおそれている】が日本での上映が始まりました。

予告編では、ホアキン・フェニックス演じるボーが、終始目を見開き時には裸でずっと何かに怯えている映像が流れていました。

本作はアスター監督の過去作のように、グロテスクな描写や、恐ろしいホラー展開があるのではと期待していましたが、【ボーはおそれている】は人間の心の中の恐怖を集中的に描いた作品でした。

そして、【ボーはおそれている】でも過去作と同様に救いのない展開と、モヤモヤとした後味の悪さを感じました。

なぜすっきりとした終わり方ではなかったかというと、この映画は終始恐怖に飲み込まれているボーの目線でしか話が展開しないからです。

統合失調症を患っているであろうボーに「それは幻覚だよ」と声をかけてくれる人は誰もいません。

同じように映画『ビューティフルマインド』(2001)などでは、主人公の奥さんが献身的に看病してくれることによって、病気は改善しますが、誰も味方がいないボーは破壊の道へと突き進んでいきます。

本記事では、一部ネタバレを含みますが【ボーはおそれている】の考察や解釈を交えながら、本作の見どころについて語っていきます。

【ボーはおそれている】のあらすじ

うがい薬を飲んでしまったことや、些細なことで不安を感じてしまうボーは、父の命日に久しぶりに母親に会いに行く約束をしていました。

里帰りの前日に、カウンセラーの元に訪れたボーは、ジプノチクリルという薬を処方されます。

自宅に帰る途中薬を飲み込むボーでしたが、街中には死体が転がっていたり、半裸で踊っている人もおり、隙をみてボーの住んでいるアパートに入ろうとする全身刺青の男もいました。

アパートには、毒蜘蛛注意などのポスターも貼られていましたが、ボーは明日のためにベットに入り眠りにつきました。

しかし夜中になると、ドアの隙間から手紙が差し込まれ「音楽がうるさいから音量を下げてほしい」と何度も警告され、ボーはたびたび起床してしまいぐっすりと寝入ることができませんでした。

そして翌日、朝寝坊をしてしまったボーは慌てながら急いで荷造りをし、鍵と荷物を持ってドアを開けますが忘れ物に気づき一瞬部屋に戻ってしまいます。

そして再びドアの前に戻ると、そこにはもう荷物も鍵もありませんでした。

ボーは、母親のモナに電話をかけますが、ボーが里帰りができないというと言うと優しかったモナの口調は途端に変化したように聞こえました。

その後も度重なるハプニングに見舞われ、ボーは部屋の外で一夜を明かした後、母親の頭がシャンデリアに押しつぶされ奇怪な死を遂げてしまったことを知ります。

ボーは、モナの葬式に参列するために実家に帰ろうとしますが…。

ボーは統合失調症?

前半の導入部分から分かる通り、ボーは現実にない幻覚の中で生活しているのがわかります。

最初は、こんなに荒れている街中が英語圏の国にあるのだろうかと不思議になりましたが、ボーの妄想の世界が入り混じっているからこそ、退廃した通りになっていることがわかりました。

精神科医の渡した新しい薬が悪かったのか、もともとボーの世界がこのように波乱に満ちていたのかわかりませんが、ボーが統合失調症であるのは確実です。

先述しましたが、ボーの統合失調症は完治することはなく、救いはありません。

映画を見始めた時は、この人達は妄想の中の人達で、この人は本当に存在する人間じゃないかと推理しながら鑑賞していました。

しかし、物語が進むにつれて何が現実か幻想なのか、だんだんと推理しずらくなっていきます。

ボーと一緒に、おかしな世界にどっぷりつかっていくので、上映中の三時間は覚めない悪夢を見せられているような気分になります。

森セクションの演劇

夢の中で、突然始まる見知らぬ人の舞台を見る展開になることってありませんか?

映画【ボーはおそれている】でも、森の中で迷ったボーが、緑色の服を着た女性に連れられ演劇を見るシーンが中盤で出てきます。

最初は、生身の男性が舞台で演技をしていて、天使が現れたり普通に演劇が進んでいくのですが、いつしかボーは舞台の中の登場人物の一人になっていきます。

個人的に夢の中で、演劇をみることになって、いつの間にか登場人物になり切っているという展開を多く見るので、ごく自然に夢の中の世界に迷い込む体験ができて少し感動しました。

しかも、演劇の中の世界は次第にアニメーションに変わっていくのですが、劇中アニメーションは「オオカミの家」を手がけたホアキン・コシーニャとクリストバル・レオンが制作しています。

絵本の世界にいるようで、それでいて不思議な暖かさのある映像で、とても感動させられました。

演劇で話された内容も、ボーが過去に体験したものなのか、それともただの妄想だったのか定かではありませんが、大きなメッセージを受け取ったように感じました。

ボーの夢の中
引用:https://news.allabout.co.jp/articles/o/76037/

ボーは無垢な存在ではない?!

ボーは、全てのトラブルに飲み込まれ、慌てふためき逃げ回っているように見えますが、最期の母親の物言いからすると、ボーは確実に罪を背負っているように感じます。

また、グレースとロジャーの娘であるトニが、ボーの前で不可解な自殺を遂げますが、ボーが彼女になにかをしたからそのような結果になったことは確実です。

アスター監督は、「物語の中でボーが一切成長しないように描いた」と話していますが、そう考えるとやはりボーがかわいそうに感じます。

しかし、ほとんどの人が知らず知らずのうちに人を傷つけ、保身のために逃げたり誰かを身代わりにしたりしていることが人生の中でいくつかあるのではないかと思います。

179分の上映時間は長いですが、またもう一度鑑賞してみたいと感じる作品でした。

さいごに

映画【ボーはおそれている】の、あらすじや見どころについてまとめてみましたがいかがだったでしょうか。

本作の脚本の原型は、実は10年前に完成していたそうですが、プロデューサーに見せたところ「君は映画を作りたくないのか?」と言われボツになったそうです。

もしも10年前にこの映画が制作されたら、力量不足で映画になっていなかったと思うので、プロデューサーの判断は正しかったと思います。

美しい世界観と、ホアキン・フェニックスの演技が光る本作ですが、物語については難解で見る人を選ぶ映画だと思います。

興味がでて三時間の鑑賞時間に耐えられるならば、ぜひ映画館で鑑賞してみてくださいね。

エンドロールの暗い劇場で、観客が唖然としている様子は、本作でしか味わえないかもしれません。

最後まで読んでくれてありがとうございました。

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