昨今、アマプラなどの配信サービスのおかげで、日本やハリウッドの映画だけではなく韓国やスペインなどの幅広い映画を視聴できるようになりました。
普段は、アメリカや日本のホラー映画を鑑賞することが多いのですが、おすすめに韓国でヒットしたホラー映画【哭声/コクソン】が紹介されたのでみてみることにしました。
【哭声/コクソン】の監督は、ナ・ホジンさんというクリスチャンの方が務めていますが、神の救いが全くないラストに唖然としてしまいあまり好きになれませんでした。
しばらく経ってから、今度はタイと韓国の合作映画である【女神の継承】を鑑賞してみましたが、同じくナ・ホジンさんが脚本を共同制作しており、後味の悪さに顔をしかめてしまいました。
そして、この二作の共通していることは、人々が信仰をなくすことへの恐れをえがいていることがわかりました。
本記事では、【哭声/コクソン】と【女神の継承】で共通する、韓国のキリスト教徒が恐れているものはなんなのか考察してみました。
韓国の人口の約半分がキリスト教を信じているそうですが、その内情は複雑なのではないかと、韓国ホラーをみて感じました。
律法を破るとどうなるか
日本のホラーはあまり性的な表現をしないことが多いですが、キリスト教が性的な穢れを嫌うように、韓国ホラーも性的な穢れに恐れを持つ表現があります。
哭声/コクソンでは、ヒョジンが父親の不倫現場を目撃してしまったことと、山奥に住んでいる日本人と接触したことで人が変わったようになってしまいます。
女神の継承でも、バ・ヤンの巫女ニムの姪っ子であるミンが、複数の男性と性的接触を持ったことがわかり物語が大きく動いていきます。
このように、結婚前に性的な接触を持つことは、キリスト教では一番の禁忌とされています。
禁忌を破ってしまうことで、神の律法に背き、怨霊を引き寄せた結果、災が起こるという物語は聖書にもよくあるプロセスだと思います。
日本ホラーとの対比
一方日本のホラーでは、ヒット作になればなるほど性的な表現はなくなっていきます。
そもそもキリスト教徒が人口の1%にも満たない日本では、結婚前に性的な関係を持ってしまったとしても、妊娠などしなければ黙認されてしまうことが多いです。
日本のホラーで恐ろしいとされていることは、家族の絆が壊れてしまうことで、視聴者の幅を縮めてしまう性的表現を露出させるより、家族間の絆を見せながら謎を解明していくことで多くの人に受け入れられる作品を生み出していきます。
例としては、日本ホラーの代表格と言える『リング』や『仄暗い水の底から』『呪怨』などがあげられます。
しかし、キリスト教徒が多い韓国では、家族の絆についても触れますが、それ以上に女性が大人になって性的な快感を知ってしまうことに恐怖を感じているように見えます。
さらに、日本のように穢れを嫌う文化がない韓国では、生理や血が大量に吹き出る描写が多く、見るものを選ぶ傾向があると感じます。
哭声/コクソンとは?
作中では、謎の女性ムミョンが「コクソンとは怨霊だ」と話しています。
哭声/コクソンや女神の継承では、怨霊とはいわゆる悪い霊を指しているのではないかと思いますが、聖書でもイエス・キリストが悪い霊を祓う奇跡が多くみられます。
哭声/コクソンとは怨霊
哭声/コクソンでは、「日本人に血を吸われた人」には湿疹のようなものが、身体中にできてしまいます。
これは、新約聖書の中でも多くの人たちがかかってしまった、ハンセン病を患ってしまった状態に似ています。
新約聖書の中では、イエス・キリストが悪い霊によってハンセン病になってしまった人を癒し清めてくれます。
悪い霊に取り憑かれてしまった時は、神様の戒めを信じ、悪い霊に身を委ねず、神様が自分を救ってくれることをひたすら待ち望むことが大事です。
ミンに取り憑いたのはバ・ヤンではなかった
新約聖書の「マルコによる福音書第5章」では、イエス・キリストが悪い霊に憑かれてしまった人を除霊する場面が書かれています。
悪い霊に憑かれた人の名前は、「レギオン」と言いましたが「悪い霊が大勢取り憑いている」と話していました。
これは、女神の継承でミンが置かれていた状況にも酷似しています。
イエス・キリストは、レギオンに取り憑いていた悪い霊を、2000頭もの近くにいた豚の群れに移し、そして豚達が崖から落ちるようにしむけて悪い霊達を除霊しました。
女神の継承でも、ミンに憑いてしまっている悪い霊を、母親のノイに集めて除霊する方法を採用しました。
しかし、ミンの義理の叔母であるパンが、ミンを解放してしまったので作戦は失敗に終わってしまいました。
儀式を行うのに、一人でも疑念を持ったり、悪い霊に身を委ねてしまった人がいると、神様からの救いは行われないのだと思います。
犬の存在
哭声/コクソンと女神の継承では、どちらの作品でも犬が登場しており、邪悪な日本人は獰猛な犬を飼っており、女神の継承では犬を食べるという残忍な描写に眉をしかめてしまいます。
なぜ両作では、犬が残忍に描かれているかというと、旧約聖書の中では「野犬が邪悪なもの」とみなされているところがあるからです。
また、タイの国教である仏教では犬などの生き物を殺すことは禁忌であり、その描写を積極的に映画で見せることでより恐ろしい演出効果を狙っているのではと感じます。
キリスト教では山犬が邪悪なものとされている
キリスト教では、飼い犬や調教された犬は特に邪険に扱われませんが、旧約聖書のエレミヤ書では山犬が邪悪なものとして語られています。
つまり、哭声/コクソンで日本人が飼っていた制御が効かない凶暴な犬が邪悪なものとして認識できるでしょう。
そのため、主人公のジョングはこの邪悪な犬をツルハシで滅多刺しにしますが、これは自分の中の邪悪な心を殺しているともみて取れると感じます。
しかし、ジョングはその後、娘の靴が呪いの祭壇にあったことを知り絶望してしまいます。
犬を食べるという禁忌
女神の継承では、物語の最初からニムが「イーサン地方では犬を食べるというけれども、そんなことありえない」と強く姉夫婦の行いを否定しています。
先述しましたが、仏教では動物を殺してしまうことは禁じられており、キリスト教では野犬は忌むべき存在なので、食べてしまうなどもってのほかだったと思います。
しかし、姉のノイは犬を食べることをまあ仕方ないことと解釈しており、自分たちが重大な罪を犯していることを理解していませんでした。
己の罪を自覚していなかったノイの家族達は、野犬の霊に取り憑かれ、幼い赤ん坊は無惨にも食べられてしまいました。
目に見えるものに惑わされてはいけない
新約聖書のヨハネによる福音書20章29節では、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信じるものは幸いである」と話しています。
哭声/コクソンでは、特に目に見えるものに惑わされてしまい、「印を、証拠をみせろ!」と要求してしまいます。
特に、神父であるイサムは最後に日本人と対峙した時に正体を見せろと要求したため、望み通り日本人は手に刻まれたキリストと同じ聖痕をイサムに見せます。
そして、日本人はルカによる福音書24章38〜39節を読み上げ『どうしてお前はおじ惑うのだ。どうして心に疑いを持つのか。私の手や足を見なさい。まさにわたしだ…』イサムの写真を撮り始めます。
日本人の姿は徐々に悪魔のような姿になっていき、目に見える証拠を求めてしまったイサムが間違っていたことがわかります。
そして、ジョングも家の門の前にヒョジンの髪飾りを見つけてしまったことで、家に戻ってしまい最悪の結末を迎えてしまいます。
哭声/コクソンの女の正体
度々ジョングに忠告をしていた、謎の女性であるムミョンは、奇妙な行動をとり怪しく見えますが、物語の中で唯一信仰を貫いた人物です。
話していることは一貫していて、「日本人が災をもたらしている」ことがわかっており、不思議な力を使って祈祷師を追い払うこともできました。
ムミョンの存在は、聖書の中の預言者や殉教者と同じような役割を持っていると言えます。
しかし、聖書の中でも神様の教えを伝えるために現れた預言者は、畏怖の目で見られ時には蔑まれてしまいます。
イエス・キリストでさえ、その存在が疑われ十字架にかけられてしまいました。
哭声/コクソンでも、ミニョンは特別な力を持っているにもかかわらずジョングを止めることができませんでした。
鶏が鳴く前に
ミニョンは、鶏が3回鳴くまで自宅に戻ってはいけないとジョングに言いますが、これと同じような話が新約聖書のマタイによる福音書26章69節から75節に書かれています。
ペテロは忠実なイエス・キリストの僕でしたが、イエスはペテロが「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」と言い、ペテロはそれを強く否定しました。
しかし、イエスが捉えられたのを助けに行ったペテロは、正体がばれそうになったときイエスのことを三度知らないと言ってしまい、その後鶏が鳴くのをきいて激しく泣いたそうです。
ミニョンの忠告を聞かず、自宅に戻ってしまったジョングも、その受け入れられない惨状を見て泣き喚いていました。
人間は、予言を与えられたとしても、神様の教えを守ることが難しいことがわかります。
信仰を失う恐怖
女神の継承でも、バ・ヤンの巫女であるニムは、バ・ヤンの像が壊されてその存在を信じることができなくなってしまいました。
哭声/コクソンと女神の継承は、両作ともに信仰心を失ってしまうという終末を迎えてしまいます。
信仰を失ってしまうと言う恐怖は、やはりキリスト教徒であるナ・ホジン監督が最も恐れていることで、その恐ろしさを映画に込めたのではと感じます。
信仰心を強く持たない日本人が、哭声/コクソンの悪役に抜擢されたのはそれなりの理由があったのだと思います。
真面目にキリスト教を信じてきた韓国の人々にとっては、世間の荒波に揉まれて信仰を失ってしまうことが、ホラー映画を作り上げるほど恐ろしいことなのだとわかりました。
さいごに
哭声/コクソンと女神の継承について、聖書の聖句なども交えて解説と考察をしてきましたがいかがだったでしょうか。
韓国人の国民性から、真面目で深く考えすぎてしまい、自殺率が高い国だと言うことも知られています。
もっとおおらかに、聖書の立法や日常的な物事を捉えられたら、生きやすいのではないかと感じることもあります。
哭声/コクソンの最後は、國村隼さんの迫真の演技もあり、胸を締め付けられました。
ぜひアマプラなどで視聴してほしいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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