難解で独特な世界観を持つ、押井守監督の映画作品は、多くの視聴者を魅了し続けています。
特に、1985年に製作された【天使のたまご】は、聖書の物語である「ノアの方舟」をモチーフに作られており謎の多い物語となっております。
登場人物はたったの二人で、ファイナルファンタジーのキャラクターデザインをされた天野喜孝さんのタッチで描かれた、青年と少女が物悲しく美しいです。
また、作画の名倉靖博さんが、少女の髪の毛一本一本の動きを細かく描いているので、うっとりするほど美しい映像を見ることができます。
生き物たちが化石になり、生きている人は誰もいない中、少女は「天使のたまご」を一人で温め続けて来ました。
そこにやってきたのは、十字架のようなものを背負った青年で、お互い『あなたは誰?』『君は誰だい?』と質問し合いました。
本記事では、青年と少女が一体誰で、たまごとはなんだったのかについて考察していきます。
映画を何度も視聴し、聖書と照らし合わせ、二人の行動をよく観察すると人物像が浮かび上がって来ます。
ノアの方舟がモチーフ
作中では、青年が創世記6章から8章までを引用して、物語の世界観を語っています。
その昔、人が地に溢れたことで悪が世に蔓延し、神様は心を痛めるようになりました。
そして数々の悪行に耐えきれなくなった神様は、地上に生きているものたちを洪水で滅ぼすことを、預言者ノアに宣言しました。
四十日四十夜続く大洪水に備えて、ノアは巨大な方舟を作り、ノアの家族と全ての動物のオスとメスをそれぞれ一匹づつ方舟に乗せました。
そして、方舟に乗っていなかった人間や動物は、全て水にのまれて亡くなってしまいました。
ノアは雨がひいてから、水がひいたか確かめるために鳩とカラスを放しました。
カラスは戻ってくることはありませんでしたが、鳩は3回放したのち、口にオリーブを加えて戻って来たのでノアは安心して方舟からおりることができたというのが聖書の一連の話です。
しかし、『天使のたまご』の世界では、放った鳥は帰ってくることはなかったそうです。
空に機械で作られたような太陽が浮かび、その表面には無数の人間の石像が並んでいます。
街には、ノアの方舟が作られる前に生きていたと思われる、太古の動物が化石になって残っています。
建物は豪華で美しく、ところどころにまだ食べられるものが残っています。
少女は夜に眠りから覚め、湖のほとりで水を汲んで飲み干し物思いにふけったり、街で食べられるものを探したりします。
時折、魚の影が建物の壁を泳ぎ回り、それを追ってまた影のような人々が槍を投げて魚を捕まえようとします。
男は一生地を彷徨う指名を与えられたカイン
少女はたった一人で、毎日毎日ガラス瓶を集め、卵を温める日常をこれからも続けていくつもりでした。
しかし、その夜はいつもと違い、赤い戦車のようなものに乗って一人の青年が彼女に干渉しようとしました。
白い髪を後ろで束ね、褐色の肌を持つ青年は、十字架のようなものを常に背負っています。
青年は聖書の預言者であるノアで、彼女を助けに来たのかと最初は思いましたが、彼の行動をよく観察すると別の人物像が浮かび上がって来ました。
それは、人類で一番最初に弟を殺してしまったカインという、地上を放浪することを強いられた人物でした。
カインは人類で一番最初に「人殺し」という重い罪を背負い、神様は誰もカインを殺すことができないようにしるしを与えられました。
重い罪を償うために、青年は常に十字架に似たものを背負い続け、この世界が終わるまで生き続けているのです。
また青年の両手には傷があり、それは神様がカインに与えた印で、罪の証なのではと推測しました。
「天使のたまご」の冒頭では、幼い手がだんだん成長していき、大人になると何かを握りつぶし卵が割れたような音がします。
この手はおそらく青年のもので、人殺しの罪を犯したことで、死ねない体になり水や食べ物を口にすることなく眠ることなく、彷徨い歩いているのだと考えられます。
青年は罪人で、人を殺した経験を持つカインだからこそ、戦車に乗って移動をし、少女の卵に手をかけることもできたのだと推測します。
女の子はノアの末裔?
彼女は、人がいなくなってしまった街で、一人ガラスの瓶を集めながら、自分が天使の卵だと信じて疑わないものを大切に守って来ました。
動物が化石になってしまうほどの長い時間を、たった一人で生き続け、その顔つきは幼い少女ですがどこか老婆のようにも見えます。
物語の最後に、彼女の住む街は実は巨大な方舟であったことがわかることから、彼女はノアの親族の末裔なのではと推測します。
おそらく少女は、洪水の際に一度死んでおり、彼女の心は水の中にも住んでいます。
卵を手にしたことで、体は生きながらえることができましたが、物語の冒頭から彼女が水を尊んでいることがわかります。
湖で水を汲むシーンでは、鳥の白い羽がどこかから流れて来て、怪しげな音楽が流れ少女を呼んでいるような演出が施されています。
卵に対する執着
青年と出会った時は、驚きと緊張で彼を拒絶しましたが、青年が大洪水の際に鳥を放したことを語ると態度が一変します。
『いるよ ここにいるよ』と言って、青年の手を強引に引き、天使と思われる化石の前に連れていきます。
少女も青年も、形は違いますが長い時間を生きたことで、昔の記憶を思い出せずにいますが強い思いだけが心に残っているようです。
ノアの末裔である少女は、洪水の際に放たれた鳥のことはよく覚えていましたが、もうそれが帰ってこないことをわかっていません。
自分の体が沈んでしまった時に、卵を手に入れ、そしてベットの中で目覚めるという毎日を繰り返していたのかもしれません。
水の中から少女を呼び続けていた女
少女の卵が青年に割られてしまい、彼女は今までにないほどに取り乱し泣き喚きます。
そして、野原で青年を見つけ必死に駆け寄ろうとしますが、地の狭間から水の中に落ちてしまいます。
するとそこには、少女が成長した姿であると思われる女性がおり、お互いゆっくりと近づいていきました。
女性は、少女が水の中に戻ってくるように、何度も何度も呼びかけていたのです。
水の中の女
水の中の女と、少女が口付けを交わすと、水の中に波長が現れ少女は消えてしまいます。
女性は無数の泡に包まれ、口から大量の泡を吐き出しました。
水面のには無数の卵が浮かび上がり、卵の中にはノアがあの日放ったであろう鳥の雛が、鼓動を打ちながら眠っています。
最後に無数の鳥の羽が飛び散る
青年がまた空を見上げると、機械仕掛けの太陽には、少女の石像がありました。
少女の石像が太陽にあるということは、少女が天に昇り、その命を全うしたことがわかります。
そして、青年の周りには大量に鳥の羽が舞い散り、あの大量の卵から鳥が孵ったのではと推測できます。
それは、この世の絶望だったのか希望だったのか、私たちには知る由もありません。
さいごに
捉え方によっては、いく通りもの考察ができると思いますが、二人はどちらも聖書の物語のキャラクターを元に作られたのではと推測されます。
二人のセリフはどれも印象的で、一つ一つの動きや髪の毛の描写は美しく、何度みても新たな発見がある映画でした。
今ならアマプラで視聴することもできるので、時間があれば是非見てみてくださいね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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