新海誠監督の新作映画は、最初は特に興味がなかったのですが、予告を見た時にどうしても胸に引っかかる思いがありました。
それは、主人公の相手役が椅子に変えられ、少女と共に冒険するというお話の設定でした。
震災孤児…喋る椅子‥
これは、広島で戦災孤児になった女の子のお話「ふたりのイーダ」と同じではないか…。
私は小学生の時に図書室の隅に置かれていた、この児童書を読んで咽び泣いた記憶を思い出しました。
もしかしたら新海誠監督は、この名著のオマージュとして映画を作ったのではないかと思い、おそるおそる映画館に足を運びました。
そして視聴した感想としては「すずめの戸締り」は、確実に「ふたりのイーダ」から影響を受けていることがわかりました。
本記事では、ふたりのイーダとすずめの戸締りの類似点と、それを踏まえた考察をまとめてみました。
すずめの戸締りとは?
すずめの戸締りとは、震災で家族を亡くした主人公鈴芽(すずめ)が、世界の災害を防ぐために「閉じ師」の草太とともに、地震を起こすミミズという化け物が出てくる扉を閉めてまわるというお話です。
ある日いつものように自転車に乗って学校に向かっていた鈴芽は、すれ違った青年の草太に惹かれて、彼を追って人が寄り付かない廃墟にやってきました。
しかしそこには草太はおらず、代わりに不思議なドアを見つけた鈴芽は、扉をすり抜けた時に足にあたった石を思わず引き上げてしまいました。
冷たい石は、小さな獣のようなものに変わり、鈴芽は怖くなって廃墟を去りました。
学校で昼ごはんを食べようとした鈴芽でしたが、地震速報とともに赤黒い雲のようなものが立ち上っていることに気付きます。
急いで廃墟に戻ると、先ほど見つけたドアから大量の赤黒い雲が噴き出しており、草太は雲がでてこないように扉を閉めようとしていました。
鈴芽は草太と一緒に扉を閉めますが、大きな地震が起こり街の被害は甚大で、草太も怪我を追ってしまいました。
鈴芽は草太を家に連れて行き、手当をしていると1匹の猫がやってきました。
喋る猫は草太を椅子に変えてしまい、鈴芽は草太を人間に戻すために旅に出ます。
二人のイーダとは?
ふたりのイーダとは、花浦の祖母のうちに預けられた小学4年生の直樹が、歩く椅子を追って廃墟の家をみつけるというお話です。
直樹には、ゆう子というもうすぐ三歳になる妹がいますが、警戒心のかけらもないゆう子は歩く椅子と取り憑かれたように毎日遊ぶようになってしまいました。
どうやら、もともとこの椅子の持ち主であった子供の名前は「イーダ」と呼ばれていて、ゆう子のあだ名と同じだったことから、椅子はゆう子のことを気に入ってしまったみたいです。
直樹は、本物のイーダがどこにいるのか、祖母の知り合いの家のお嬢さんであるりつ子とともに調べはじめます。
そしてわかったことは、この家が広島に原爆が落ちた1945年の8月6日から、時間が止まっているということでした。
二つの作品の類似点
二つの作品の類似点は多くありますが、まずは物語が廃墟を見つけるところから始まることと、震災や戦争で傷ついた子供が過去に向き合うところが全く同じです。
たびたび映画「すずめの戸締り」は、なぜここまで3.11そのものを描いたのかと問われますが、その理由は人は自分のトラウマと向き合う機会が必要だからだと考えます。
ふたりのイーダでも、広島の原爆の日を子供の記憶にも残るようにしっかりと明記し、原爆によって家族を亡くした成長したイーダが灯籠流しに行きます。
鈴芽が忘れられてしまった廃墟の声を聞き扉を閉めることと、灯籠流しを行って原爆で亡くなった人間を偲ぶのも、同じように大きく意味があると感じます。
震災孤児の鈴芽と戦災孤児のイーダ
先述しましたが、二つの話の中心人物は震災孤児と戦災孤児です。
ふたりのイーダでは、ラストにやっと椅子が探していたイーダがりつ子であったことがわかり、りつ子がたった一人で原爆で破壊された広島の街を彷徨っていた事実が判明しました。
このシーンはすずめの戸締りの冒頭シーンにそっくりで、ふたりのイーダで一番泣けるラストを一番最初に見せられたので、悲しくて映画館で号泣してしまいました。
3.11で倒壊してしまった廃墟を歩く幼い鈴芽の姿は、原爆の落ちて死体が転がる中歩いて行ったイーダの姿と重なります。
鈴芽の戸締りでは、学校の上に船が乗っかっているシーンや、倒壊してしまった家屋をあえて描写するのはいかがなものかと議論されることが度々あります。
しかし、あの3.11があった10年前のことを私たちはどれだけ思い出せるでしょうか?
100年経った時には、遠い昔の話になってしまっているのではないでしょうか?
実際にいざ地震が起こった時に、非常時のために防災袋を備えている家は全体の何%になるのでしょうか。
悲惨な過去を忘れるのは大事なことなのですが、過去を知らない人や忘れてしまう人のために、すずめの戸締りやふたりのイーダなどの作品は絶対に必要なのだと考えます。
廃墟から始まる物語
二つの作品は、まず初めに物語が廃墟から始まるというところがとても似ています。
ふたりのイーダでは、直樹が「イナイ、イナイ、ドコニモ、イナイ…」と呟きながら歩く椅子に惹かれて、原爆以来時が止まった家にやってきます。
鈴芽は、草太に惹かれて廃墟にやってきますが、その後草太は椅子になってしまいます。
また、椅子になった草太は、閉じ師として鈴芽にミミズについて教える役割を引き受けています。
直樹も、カタコトで喋る椅子からの記憶を辿ることで、椅子が探しているイーダをみつけることができました。
草太の苗字とイーダの祖父の苗字が同じ
映画「すずめの戸締り」をみていて一番驚いたことは、草太の苗字が「宗像」であったことです。
なぜなら、椅子の持ち主であるイーダの祖父の苗字もほぼ同じである「宗方」だったからです。
そして、椅子を作ったのはイーダの祖父でした。
草太の苗字が「宗像」である理由はいろいろな説が唱えられていますが、二つの作品のキーパーソンの苗字がほぼ同じであることはなかなかないことでしょう。
このことから、新海監督が「ふたりのイーダ」を読んで「すずめの戸締り」を作ったことは間違いないと確信します。
なぜ椅子は3本足?
鈴芽の椅子が、なぜ三本足であったのかと不思議に思った人もいるかもしれませんが、それはふたりのイーダの影響を受けているからではと推測されます。
直樹は、椅子にイーダはもう死んでしまったんだと言いますが、椅子は頑なにイーダはゆう子だと言い張り、嘘だと思うなら背中に三つほくろがあるはずだと言い出します。
しかし、ゆう子の背中をみてみるとそこにはほくろはなく、椅子はショックのあまりバラバラに壊れてしまいます。
その後本物のイーダであるりつ子が、椅子を引き取り組み立て直し、病室に椅子を置いて闘病で辛い中毎日話しかけていることがわかりました。
すずめの戸締りでも、椅子の草太が最初から壊れていたのは、戦災孤児である鈴芽に直してもらうためだったのです。
二つの物語は、椅子という過去や使命に囚われた存在を「助ける」物語なのかもしれません。
わたしはあの家をきちんとしめ、それから、家へ帰っていすを組み立てました。…
いすは、ふしぎなほど、きちんともとどおり組み立てられました。
引用:松谷みよ子「ふたりのイーダ」講談社
椅子が喋る!走る!かわいい!
ふたりのイーダは、国際児童年記念特別アンデルセン賞優良作品として認定されており、映画化もされています。
歴史の授業で鑑賞したという方も多いのではないでしょうか。
しかし、椅子の動きはストップモーションで作られていて、おどろおどろしい動きをしていて正直怖いと言われていることが多いです。
また、広島の被災シーンなどもリアルに描かれているそうです。
しかし、すずめの戸締りでは椅子がとてもかわいく、ポップに動くのがとてもよかったですね。
さらに、猫のダイジンを追って猛スピードで走る姿には感動を覚えました。
椅子で遊ぶ子供達
鈴芽は旅の途中で、神戸でスナックを経営する二ノ宮ルミのところに居候させてもらうことになり、店の営業中にルミの双子の子供の面倒をみることになりました。
二人の子供に手を焼く鈴芽でしたが、教師になりたいと思っていた草太が、楽しく二人と遊んでくれる場面があります。
子供達は、椅子を馬に見立ててぱっかぱっかと遊んでいましたが、その場面は自然とイーダと椅子が遊ぶ場面と重なりました。
新海監督があえてこのようなシーンをいれたのは、やはりふたりのイーダのオマージュだったのではと感じます。
ストップモーションだと、気持ち悪く動く椅子でしたが、アニメでこんなにスイスイ動いてくれてよかったですねぇ…。
マクドナルドハッピーセットの付録「すずめといす」
2022年11月4日から、マクドナルドでハッピーセットを頼むとすずめの戸締りのスピンオフ絵本「すずめといす」が期間限定販売されました。
文は新海誠監督が担当し、絵はうみしませんぼんさんが担当されていて、すずめが疲れたお母さんのためにご飯を作ってあげるという微笑ましいストーリーです。
実際に5歳の娘と、3歳の息子に読んであげたら二人ともこの絵本が気に入って、何度も読んでと言ってくれました。
お料理がとっても美味しそうで、すずめと椅子の会話にほっこりさせられます。
子供は大人とは違って、自分の想像の中に入ることができて、椅子でもなんでも擬人化させて世界を大きく広げることができていいですよね。
ふたりのイーダで、ゆう子が椅子に話しかけたり遊んだりしていた場面がありましたが、この絵本のように夕ご飯を一緒に作ったり楽しく遊んでいたのはと感じました。
子供のすずめと椅子との暖かい交流に癒されたい方は一見の価値ありの絵本です。
さいごに
すずめの戸締りと、ふたりのイーダについて比較して考察してきましたがいかがだったでしょうか。
新海誠監督は、すずめの戸締りは魔女の宅急便から大きく影響を受けたと話していますが、確実にふたりのイーダも影響を受けていると感じます。
そして、二つの作品に似せるだけでなく、現代版にアレンジされ新海誠監督なりのアンサーとしてすずめの戸締りを作られたのではと感じます。
しかし、ここまで影響を受けているなら、インタビューなどでふたりのイーダの名前をどこかで出してはくれないのかなと感じます。
おどろおどろしかった椅子が、子供に慣れ親しみやすい姿に生まれ変わり、走ったり動いたりする姿には本当に感動させられました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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