2024年9月に2019年に放映されたホアキン・フェニックス主演の【ジョーカー】の配信がアマプラで開始されました。
正直、『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーが怖すぎて、【ジョーカー】を視聴することに躊躇していたのですが、予想以上に胸に響く人間味溢れたジョーカーに涙が止まりませんでした。
その後、同時期に去年放映されて話題になった邦画【あんのこと】も、配信が始まったことがわかり、SNSでの評価が良かったので試しに視聴してみました。
しかし【あんのこと】は、【ジョーカー】に比べて脚本も役者の演技もお粗末で、なぜ「社会の不条理さ」を同じように描いているのにここまで異なる作品になってしまったのだろうと疑問を持ちました。
本記事では、【ジョーカー】と【あんのこと】に登場する「母親」という役割に焦点をあてることで、どちらが物語により深みが出て、主人公を引き立てることができるのかを比較してみました。
洋画では登場人物を徹底的に掘り下げていいますが、邦画は登場人物が置かれている状況や物事についてを中心に描いているので、物語の深みがなくなっていることがわかりました。
【ジョーカー】と【あんのこと】の親子関係の比較
映画【ジョーカー】については、もちろんホアキン・フェニックスの演技が最高なのですが、あえて母親との関係に注目することで、アーサーの人間性をより引き立たせていることがわかります。
主人公のアーサーについても、アーサーの母親のペニーについても、映画が終わった後に「なぜあの人はこういう行動をとったんだろう?」と考えさせられます。
一方で、【あんのこと】の方は、やっていることがいつもちぐはぐで、違った意味で「なんであんなことをしたんだろう」と不思議に思ってしまうことが多かったです。
実際にあった事件をもとに作られた【あんのこと】は、主人公のあんだけでなく脇役までも、キャラクターの動機づけをはっきりさせることなく物語を作ってしまったように感じました。
アーサーと母親について
アーサーと母親のペニーは、二人でテレビ番組を見たり、世間話をしたり貧しいながらも仲睦まじい様子で暮らしていました。
ペニーはアーサーに「やせすぎよ。もっと食べなきゃ」と優しく声をかけると同時に、市議会議員のトーマス・ウェインに異常な執着を見せています。
彼女の優しさと執着は、そのままアーサーの性格形成にもつながっており、彼の唯一の味方であることがわかります。
しかし、物語の後半に差し掛かると、彼女が昔アーサーが虐待されていたのを放置していたことがわかり、さらに血の繋がりもなかったこともわかってしまいます。
それをみた視聴者としてはアーサーの辛さもわかりますが、ペニーが幻覚や妄想に取り憑かれながらも優しい女性だったことがわかりとても苦しくなります。
このように、ペニーの優しさと狂気を描くことで、彼女の人生に思いを馳せることができ、どのような人物だったのかよりわかりたいと思うようになります。
あんと母親について
映画【あんのこと】は、実際にコロナ禍であった事件をもとに構成された映画でした。
そのため、主人公のあんは12歳から母親から売春を強要され、いつしか覚醒剤に依存するようになったそうです。
苦境に苦境を重ねたような人生を送っているあんですが、キャラクターの掘り下げが全然出来ていないことに視聴中ずっと違和感を感じていました。
特に、あんと母親のやりとりですが、ほぼ取っ組み合いの喧嘩で終わらせられているのが残念でした。
あんも母親も、言葉での話し合いが苦手だから毎回喧嘩しているのかもしれませんが、母親は語彙力に乏しく同じ言葉の使い回しで、彼女の幼稚さを引き立たせるためにあんのことを「ママ」と呼びます。
小学生の子供を従えさせるだけなら、彼女の暴力と叱責だけであんをコントロールすることはできるとおもいますが、いくらあんが発達に遅れがあったとしても約10年もこのような状況なら逃げ出すと思います。
あんの祖母を引き合いにだして、家に縛り付けているような感じもあるのですが、それにしてはあんと祖母が話し合っているシーンが少なく、二人はそこまで仲が良さそうに思えないのも気になります。
キャラクターがこのようにちぐはぐな行動をしてしまうのは、こういうシーンを見せたい!たとえば、あんの母親が取っ組み合いしているシーンをみせたい、ゴミががらがらと崩れ落ちるシーンが撮りたいとキャラクター目線ではなく、状況目線で話を進めていくことが原因ではないかと思います。
母親がどれだけ酷い人物か見せるために、非常識で暴力を振るう場面を何度も描きます。
しかし、母親がなぜそのような行動をとるのかという解像度が低めなので、キャラクターに本物感がないのです。
暴力描写を極力抑えた【ジョーカー】
2008年に公開された【ダーク・ナイト】で、最悪の悪役であるジョーカーは、目を覆いたくなる暴行を繰り返し視聴者にその残虐さと冷酷さを植え付けました。
しかし、2019年に公開された【ジョーカー】は暴力描写もあるのですが、それ以上に障害や病気に対する偏見や生きていくことの辛さについて重点を置いているように見えます。
ペニーは、アーサーのことを「ハッピー」と呼び、彼の人生を「こうあるように」と縛り付けてきました。
過度な暴力シーンを見せなくても、彼女の言動がアーサーを長期間拘束し、自分が思うような人物に育てたいという願いがひしひしと伝わってきます。
また、アーサーの背中に酷い火傷があることなどは、仕事場の控え室などでさりげなく映したり、ペニーのカルテに貼ってあった写真をみることで、暴力描写を直接描かなくても察することができました。
また、ペニーの若い頃の姿が一瞬映されますが、パートナーから殴られた跡や、苦しそうで張り詰めた目線をみることで彼女がどれだけひどい状況にあったことがわかります。
そして、彼女が思ったよりも美人で気高い雰囲気があったことも、印象的でした。
カルテを読みながら、あまりの苦しさと悲しさで笑ってしまうアーサーの姿に涙が溢れてきます。
【あんのこと】のあからさまな暴力描写
【あんのこと】の暴力描写についてなのですが、映画を視聴中「これって必要な場面なのかなぁ?」と何度も思いました。
ゴミに溢れた自宅で、同じような構図の母親からの暴力描写が2回、そしてあんが介護施設で働いている時に母親が押しかけてきたことでまた取っ組み合いが始まります。
まず、あんを保護したのにも関わらず仕事先に関する郵送物を実家に送ってしまうのもそうですが、不審者が入ってきた場合の対応も杜撰だったと言えます。
渦中の人間を不審者に会わせてしまうことは、施設の責任者なら絶対に避けなければいけないことですし、さらに施設利用者を車椅子で突っ込ませるのを許すことなんて絶対にしてはいけないと思います。
とにかく【あんのこと】では、娘と母親の関係をより悪く見せるために、暴力描写や取っ組み合いのやりとりをみせることで、その後の展開をバッドエンドに導いていく構成になっています。
しかし、人が見ていようと暴力を振るったり、あまりにも頭が悪いキャラクターのせいで、こんな展開はありえないと思う視聴者もいるかもしれません。
かわいそうな状況作りではなくより良いキャラクター作りを
洋画は【ジョーカー】などの作品を含め、キャラクターの掘り下げを強化する面があり、アニメーションなどは担当するキャラクターによってギャラが決まったりするそうです。
しかし、日本の邦画に関しては社会への問題提起を重視するあまり、キャラクターの人間像についておざなりになってしまうことがあると感じました。
【あんのこと】は、正にその典型例で、あまりにも酷い事件が起こってしまったけれども、なぜそのような事件が起こってしまったのか、渦中の人物はどのような人だったのかを、そのまま視聴者に丸投げしてきたと感じました。
監督が登場人物の人間像を掘り下げていないのがわかるので、役者さんに関してもどのように演じたら良いのだろうという戸惑いが、スクリーン越しにわかりました。
特に、主人公であるあん役の河合優実さんは、セリフが少ない中彼女の人間味を出すことに苦労したのではと感じます。
あんが、熱心に日記を書く場面や、子供を預かって必死に面倒をみるところなどは、この映画の唯一良いところだったなと感じます。
さいごに
【ジョーカー】と【あんのこと】の親子関係に焦点を当て、邦画の問題点についてまとめてみましたがいかがだったでしょうか。
完成度の高い【ジョーカー】と、今年見て一番後悔した【あんのこと】を引き合いに出してしまったことは少し後悔していますが、邦画はもう少しキャラクターを重視して制作して欲しいと感じます。
両方ともアマプラで配信されていますので、興味がありましたらぜひ試聴してみることをおすすめいたします。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
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