2024年10月にアニメ化された【チ。-地球の運動について-】は、頻繁に主人公が変わっていき、一つ一つの話がオムニバス形式で関わっていくのが特徴的です。
第1集では、神童と呼ばれ自信に満ちたラファウという少年が主人公ですが、第二集では常に自分に自信がなく些細な揉め事があるとすぐに謝ってしまうオクジーという青年が主人公です。
しかし、オクジーは並外れた視力と洞察力を持った目があり、戦闘技術も優れており、代理決闘士として人々に後ろ指を刺されながらも細々と暮らしていました。
しかし、異端者を護送中にあるハプニングがあり、オクジーは今までの生活を捨てて修道士のバデーニの元を尋ねることになります。
本記事では、なぜオクジーがこれほどまでに謝ることにこだわるのかを、キリスト教の教えをもとにざっくりと解説していきます。
この世は穢れている
前述の記事でもお話ししましたが、旧約聖書では人間は産まれてからすぐに神様からの教えに背き、知恵の実を食べたことで楽園を追放されてしまいます。
そのため、キリスト教において人間は原罪と呼ばれる罪を背負った状態で産まれてくると考えられています。
そして、さらに罪を重ねないように出エジプト記に登場するモーセは、「十戒」を定めます。
十戒の教えは大まかにいうと「主以外を神としてはならない」「偶像を作ってはならない」「主の名をみだりに唱えてはならない」「安息日を守る」「両親を敬う」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではいけない」「嘘をついてはならない」「他人の家の財産を貪ってはならない」などの教えがあります。
本作での主人公であるオクジーは、代理決闘士という職業のため、この教えの「殺してはならない」というきまりをあっさりと破っています。
新約聖書の見解
しかし、イエス・キリストが新約聖書の世界で現れてことで、神様を信じる信仰はもっとわかりやすくシンプルなものになっていきます。
ざっくり言いますと、決まりきった教えを守るよりも神様を信じることがなによりも大事だと、イエス・キリストは皆に教えたのです。
モーセの時代から守られてきた律法はもちろん大切だけど、神様を信じる信仰が一番大切であり、実際に行動を起こさなくても、罪を起こすようなことを心の中で考えるだけでも罪だと話しました。
そしてイエスは、罪を犯してしまった人に石を投げるなどの懲罰を止めたり、卑しい身分とされた取税人と夕食をとったり、時には死者を蘇らせ病人を癒したりしました。
今まで堅苦しい教えに囚われていたユダヤ人は、イエスのカリスマ性と新しい教えに怒りを覚え、とうとうイエス・キリストを十字架に貼り付け処刑してしまいます。
しかしそれさえも、神様の導きであり計画であったことが後にわかります。
イエスは自分自身を犠牲にすることによって、人類皆救われるようにすべての人の罪が許され天国に行けるよう「贖い」を行いました。
そのため、キリスト教には心から祈ることで、自分の罪が清められる「悔い改め」という概念が産まれたのです。(ユダヤ教では子羊などの生贄を捧げなかれば罪は赦されなかった)
オクジーが何故すぐに謝るのかというと、自分が罪深い人物だということを知っており、かつ心から謝罪することによってその罪が神様によって救われると信じているからです。

異端者を護送する際に、オクジーは上司のグラスと共に教会の教えに背き彼を逃がそうとしますが、ノヴァクにばれて攻撃されてしまいました。
ノヴァクと対峙したオクジーは、自分の実力が叶わないことを瞬時に悟り、ラテン語で許しをこう発言をします。
咄嗟にこのラテン語を口にできるということは、オクジーがとても信心深い人物だということがわかります。
免罪符について
キリスト教では、この「悔い改め」という概念を使って、お金儲けをしようとした罪深い過去があります。
中世に発行された免罪符は、献金など多く支払ったものに配られ、自らの罪を赦し天国に行くことができる権利が与えられると信じられました。
そして、オクジーのような身分の低い人間には、この免罪符を買うことはなかなか難しかったかもしれません。
免罪符が発行されることによって、当時のカトリックの私服は肥やされ、教会という組織をより確固としたものにしていきました。
しかし新約聖書の教えでは、イエスは献金の多さではその人の価値は決まらないと言っていますし、人々からお金を巻き上げ商売するこの方法は、キリスト教の教えから大きく外れていると言えます。
救いは天国にある
オクジーは優れた目を持っていましたが、同時に鋭い洞察力と賢さを持ち合わせていました。
過去には、神父に対して質問を繰り返し、熱心に聖書の教えや世間に対する疑問を投げかけていたをように思います。
しかし、身分的にオクジーは十分な教育を受けることができず、結局決闘代理人という職業にしか就くことができませんでした。
この世の希望を一切捨ててしまったオクジーは、死後の世界である天国にのみ救いを求めるようになります。

地動説との出会いはオクジーをどのように変えたのか
オクジーは、バデーニから地球が動いており、天界と地球が調和していることを教わります。
そして、今まで星空を直視することができなかったオクジーが、星空を見て綺麗だという言葉を口にしました。

オクジーがこの時に味わった感動は、彼のこれからの人生をさらに波乱に満ちたものに変えてしまいます。
しかし、この感動を味わったことでオクジーは文字を学びたいと思い、貧しい人に施しを与えたりするようになるのです。
地動説を研究するバデーニとオクジーがその後どうなってしまうかは、ぜひ本編で確かめて欲しいです。
個人的には涙なしで二人の運命を見届けることはできません。
さいごに
キリスト教においての、悔い改めの概念やオクジーの心境についてまとめてきましたがいかがだったでしょうか。
信心深く優しいながらも自分に自信がないオクジーは、個人的には人間らしく愛されるキャラクターかと思います。
また、アニメーションではオクジーの戦闘シーンも見られるかと思いますので、放送が待ち切れないですね。
ぜひ漫画で予習をしてから、アニメの放送を見てもらいたいです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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